今年の2月、竜丘の前公民館長の木下陸奥先生が「竜丘の自由教育の神髄を探る」という本を上梓されました。大正期を中心とした竜丘小学校の真摯な実践と地域における指導者たちの崇高な倫理観を追い求めた本です。
5月21日、竜丘公民館(竜丘市民大学講座)で木下先生の講演会が開かれました。著書「竜丘の自由教育の神髄を探る」をテキストに、大正期の自由教育実践者「木下紫水」の心についてお話しされました。竜丘地区を中心に、約100名ほどの皆さんが聴講されました。
木下先生は、冒頭
「大正デモクラシーという大きな変革期にあって、東京という中央から離れた僻地信州の竜丘の公立小学校で同じような実践がされていたこと、この事実をどう考えるか」
とお話しされ、そのためにはその当時の先人の生き方を学ぶことが大切であるとお話しされました。
そして、木下紫水を取り上げられ、多くの資料を用いながら紫水の「心」を語られました。
まず自由画教育の先駆的な役割を果たした山本鼎との交流について、山本から「児童自由画展覧会」を依頼された背景には、紫水の児童観「今少し自由でありたい。放胆的でありたい。」に山本が共感していたのではないかと話されました。そして、紫水の教育については、
「児童の個性を尊重し、人間としての人格を認め、可能性のある能力を愛と信頼で築く教育である」
と述べられました。
次に大正12年に、竜丘村が野口雨情と中山晋平を招いて童謡講習会を開催した時の話がありました。この時の3日間の記録を「童謡講習会の記」としてまとめたのが紫水であったと話されました。木下先生は、この記録は紫水の倫理観・教育観を知る上で貴重な資料だとし、何回も読み直して見たいものだと話され、今日までこの記録が残されていた価値は大きい、そしてまた、三日間の全てを、自分の筆で書いていることに紫水の情熱を感ずると述べられました。
また、児童文学雑誌「赤い鳥」を主宰した鈴木三重吉と紫水の交流についてふれられました。当時の竜丘小学校では図画だけでなく児童の綴り方教育にも熱心に取り組んでおり、その指導に紫水が鈴木三重吉を講師として招聘したのです。あまり地方に出かけない三重吉をなぜ、竜丘に招くことができたのか。そこには紫水と中央の文人(北原白秋ら)との交流があったからだと話されました。そして、三重吉の指導が竜丘小学校の綴り方教育に大きな影響を与えたことも話されました。
さらに、紫水の「子どもの意欲と自然観を育む指導」の例として、当時の児童の日記帳をもとにお話しされました。
児童の日記帳には、必ず紫水の言葉が添えられています。それは、児童の感性を豊かにする言葉です。児童が生活を通して、事物をどのように見たり接したりしていけばよいかを具体的に助言しています。木下先生は、紫水の添えた言葉の価値をお話しされました。
そして、最後に木下先生は、
「当時のままの記録を見ても、自由教育ということばは使われていない。しかし、ことばを使って実践を行うのではなく、その概念に相応しい質の高い実践であった。また、学校教師と地域住民が一体となって教育活動を推進した様子が、それぞれの場に於いて見ることができる」
と結ばれました。
紫水が実践した自由教育は、周囲の人々の理解と共感を得て広がり、それがやがて竜丘地区の文化的な土壌となり今日までつながってきているように思います。
木下先生の「竜丘の自由教育の神髄を探る」についてのご講演は、6月にも行われます。次回は、「自由教育」が開花する根底にあった竜丘地区の文化的な背景についてお話しされます。
地域の先人の歩みを学び合うことによって、今、地域で何が求められているのか、そして地域の一人として何をなすべきなのかが見えてくるような気がします。




05 28 2010 at 00:30
最近に飯田の話をよく聞きます。
今日も訪問した先で飯田は素晴らしい取り組みをしているところだと話をしていただいた方がいました。
先人の築きあげてきたものが、今、評価に繋がっているのではないかと思います。
竜丘の自由学校は、今の飯田の基礎をつくったのだろうと思います。
これからも先人たち負けない様、飯田の話を聞くことができる取り組みを進めてください。
遠くの空から期待しています。
「かざこしやま」の由来に続く、郷土のお話も楽しみにしています。
05 28 2010 at 09:16
木下紫水の「心」へのコメント、ありがとうございました。ご講演された木下陸奥先生は、紫水について「紫水は思想的なものは何も書いていない。真・善・美を一生懸命語っているだけだ。」と述べられ、「自分を精一杯出すこと、そこに心をおかないと人は育ってこない」と語っておられます。真・善・美の精神こそ、地域づくりの源であるし、地域における大切な文化的土壌であると思います。
これからも、紫水の「心」を求めて学んでいきたいと思っています。